♪とべない飛行船




 
1972年3月、高校卒業後、清田信也、桐原元文、江頭俊夫がアコースティックギター
3本の編成で結成。 
  
1973年。全国フォーク音楽祭(日比谷野音)に九州地区代表として、甲斐バンドと 
共に出場。(ゲスト:チューリップ)この大会後、村上輝晃ドラムスで加入。
1974年3月、全国フォーク音楽祭九州大会(福岡RKBホール)に出場。
帰省中の小倉出身で、チューリップのマネージャー針尾豊洲と出会う。
同年リーダーの江頭俊夫、家業専念の為やむなく脱退。ギター、ボーカルに、高校卒業直後の作本光弘加入。

1975年7月熊本からの活動の場を小倉に移す。昼間は社会人、
夜は「音楽青年」のスタイルを1年半の間、貫徹。

1976年3月、全国フォークコンテスト全国大会(中野サンプラザ)2位入賞。 
(前年1位:甲斐バンド) 

1977年から、昼間の仕事をやめ、音楽に専念、演奏活動の場を自分達で開拓、
室町公園等の「街頭カンパ演奏」を積極的に展開し、ファンクラブ会員が激増。宇部から
藤本 淑、隣組から和田房芳、両スタッフを迎え体制が確立。

1978年10月13日、小倉市民会館でのコンサートは、アマチュアとしては異例の「満員御礼」    
伝説を樹立。  
同年、12月、デビュー曲録音の為、上京、キャニオンレコードスタジオでレコーディング。

1979年3月、長崎、熊本、福岡、小倉でデビューコンサート。このツアーを最後にサポート
ドラマー 山崎宏は、医学部受験勉強の為に退団。(現:山崎宏クリニック院長)
夏のコンサートツアーからは、ドラム 堀川誠、キーボード、内田智弘、新スタッフに
岩瀬智和を迎え、鹿児島、八代、熊本、天草、大牟田、北九州、直方、下関 各地
のコンサート運営スタッフの皆さんや、とべない飛行船スタッフの努力の結果、
記録的動員を果たし終了。また東京一極集中主義を嫌い、松山千春氏事務所所属の
誘いを断り、地元北九州にこだわった活動に徹するも、「ヒット曲」に恵まれない
不運もあったが、その姿勢は、各地の市民、ファン、地元のマスコミの方々の共感を呼び、
愛され、親しまれ、育てて頂きながらも、メンバーそれぞれの再出発の為に
1981年3月21日小倉市民会館の、さよならコンサートで解散。

1998年8月、17年5ヵ月ぶりに当地小倉と熊本で再結成コンサートを開催。



 
そして、2003年8月24日...。
思い出の小倉市民会館に彼等が帰って来る。
 




僕は聞いた 風の言葉

『君は幸せものさ うたを歌い 生きてる』








”思い出せあの頃1013”事務局 093-922-3082


(HP) http://onkochishin.fc2web.com/




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