SHULL MORE!!




1970年初頭、俗に言う70年代ハードロックの全盛期であった。
R&B、ビートルズの出現、そしてレッドツェッペリンをはじめとするロックバンドが続々と現れてくる。
その音楽たるや、すべてが新鮮で個性的なものばかりであった。

60年代から70年代にかけ、音楽だけでなく世の中のもの全てが進化していた時代である。
我々が「昔は良かった」と年寄りじみた事を口にするが、決して懐古趣味ではなく、文化そのものが進化し続けていた良き時代なのである。
また、当時の音楽こそ今の我々の教科書といえる価値あるものである。
我々は、当然のごとく、その影響を受け音楽に興味をもつようになる。

高校時代、音楽に興味をもち楽器にも興味をもち、バンドをつくる。という決まりきった方程式があった。
それは今の時代でも変わらない。当然、我々もその決まった方程式どおりバンドを組む。
当時はコピーバンド主流の時代。オリジナル曲など演っているバンドはほとんど存在しなかったと思う。
ライヴハウス、ディスコでもハードロックが飛び交っていた良き時代である。

博多のライヴハウス「照和」が、後の我々のスタートのキッカケとなる。
1972年、熊谷(b)は大学進学と同時にメンバーを集め「照和」でライヴ活動を始める。
小林(g)も別のバンドであるが「照和」で活動していた。
2年後の1974年、熊谷の率いるバンドのドラムが抜け、小林の高校時代のメンバー植田(Ds)に声がかかり参加するようになる。
翌年、お互いのバンドを抜け3人で新たなバンド「CRAZY」を結成。後に大石(g)も参加し「SHULL MORE」の基礎メンバーが揃う。

この頃から、自分たちのオリジナリティを出そうと、オリジナル曲を手がけるようになる。
そして1976年、小林の高校時代のもう一人のメンバーである土谷(Vo)を迎え、自分達にしかできない音楽、また一人欠けても成り立たないバンドを目指し
「SHULL MORE (シュール・モア)」を結成。


SHULL MORE という名前の意味は「シュ・モイ」でフランス語である。
シュ・シーは英語のシュー・レアリズムに使うような「超える」という意味を持つ。
モイはトワ・エ・モア、ユー・アンド・ミーで「私」という意味。
私を超える「超自我」という意味合いのバンド名を命名。
先にも述べた70年代の良き時代のロックでもない、日本人としてのロック音楽を探り求め、歌舞伎や能など日本の要素をとりいれ、
「首をとれ」を完成させる。
20分にもおよぶ三部構成の大曲であり、今でもメインの曲である。

博多・北九州を拠点とし学園祭やコンサート活動を行うが、1979年、博多の「多夢」でのライヴを最後に上京。
都内でのライヴ活動をする。その後、活動休止状態になりそれぞれ個別の道を歩む。
1999年、植田(Ds)は、親友ふとがね金太の紹介で、とべない飛行船の桐原氏(b)率いる「WYNDS」に参加。
「音故知心」参加のキッカケとなる。昨年、2度目のライヴを終え「SHULL MORE」復活を計画。
活動休止から約20年、5人のオリジナルメンバーで「SHULL MORE」の復活が実現した。

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